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2017年3月17日金曜日

折花姫

今回は神奈川の伝説シリーズ
前回は照手姫を取り上げましたが
今回は折花姫です。

同じ相模原の伝説と言うところもまた面白いのですが
この折花姫は悲劇のお姫様。
是非その悲しいお話の旅に出かけてみましょう...





東尾垂の湯
藤野やまなみ温泉

この日ちょっと時間的に厳しい状態でしたが
せっかくここまで着たので折花姫に会いに行こう!
と強行!
道志方面に車を向けました。

もちろん折花姫を目的に出かけているのですが
折花姫を語るときには欠かせないのが
ジジィ宮 ババァ宮

なんだ?その爺婆とは...

ではベーシックターム

折花姫

折花姫は
武田家臣の百足衆であり岩殿城主、小山田信茂の従弟、小山田行村の娘。美しい姫だったと言います。

行村は織田信忠が甲斐に進攻してきた際、岩殿城を空けていた信茂に変わって城を守っていました。


ところが信茂が君主、武田勝頼を裏切り、信忠に勝頼を引き渡してしまいます。ところがそれを不義理と感じた信忠は信茂を梟首してしまいます。
城主が殺された場合新しい城主を立てるのが常です。小山田一族を滅ぼしにくると感じた行村は
娘、折花姫とお付の者、数名の家臣を連れて北丹沢山中に逃げます。


一説によると長者舎まで逃げ延びてそこで丸太小屋を建てて暫く隠れ住んでいたとか...
あるとき川に水を汲みに来た折花姫が謝ってはいていた草履を片方流してしまいます。
それを追っ手が気づき長者舎まで迫ってきたとのこと...この話は丹沢中央にも別の伝説として同じような話があります。

それに気づいた行村は折花姫とお付の爺婆三人を逃がします。行村はその地で矢弾に当たり亡くなります。(しかしお墓があるのは随分離れた場所なんですよね。長者舎滞在説はやはり嘘で逃げている最中の出来事かもしれません。)



逃がされた三人は来た丹沢山中をさ迷い歩きます。
そして追っ手が迫ったとき老婆は折花姫の着物をまとい追っ手をだまします。そこで老婆が亡くなります。



道志川を渡り現在の主要街道国道43号線
ではなく、多分旧街道県道76号線に入ります。
音久和の自治会館を目指せばすぐです。





折花姫に会いに行こう!宿泊はこちら↓






さらに追っては迫ってきます。渓谷を登る翁と折花姫を見つけた追っ手は矢弾を射ちます。その矢弾は翁の肩に当たります。


その県道76号線を山の方に進み神之川キャンプ場の入り口前です。
犬が放し飼いにされてますので注意!
ちょっと怖がりの犬っぽいので刺激しないように…
僕は僕の方から仲良くしようと寄っていったら逃げて行きました。






むむっ画像が割れてる気がするが大丈夫か!?


もうこれまでと悟った翁は折花姫だけを逃がして敵に突っ込んで行き、数名を道連れに倒されたそうです。


そのまま県道72号線を丹沢に向かって登っていきます。すると途中滝が見えます。


エビラ沢の滝です。
さて車は進みます。
そこから少し進むと
マスつり場があります。
そこにトンネルがあり、ここを過ぎればもう目と鼻の先です。
しかし大きな土砂崩れの後…
立て看板も車両通行止めの文字…


出かけた日、ちょうど東北で震度5の結構大きな地震があり
しばらく躊躇しました。
しかし美しい姫を拝みたいという男の本能というのは凄まじいw
しばらく迷った挙句
えいやっ!っとトンネルを通りました。笑

するとこんな景色が…


マスつり場です。
当然昔はこのように整備はされていません。
でも多分清流の美しさはそのままだったでしょう。
ここの川辺を美しい姫が一人逃げていったと思うと
なんともうら悲しい感じがします。


そして最後一人山中を逃げてきた折花姫はこの地で追っ手に追いつかれ


トンネルを越えてマスつり場を越えればもうすぐです。
川が大きく蛇行している場所に折花姫を祀る神社があります。






何かのときにと渡された懐刀で胸を突き自害したとのことでした。


なんとも悲しい話です。

しかし武田軍の各地での略奪は酷いものだったとか...
武田軍団が通る場所では奴隷市が開かれ
人間がどんどん売られていったというから
自分がすることは他人もするだろうという目測の元
美しい折花姫の凄惨な将来を憂いて
このように山深い北丹沢を逃げ回ったのではないかとおもいます。

確かに九州では武将の小競り合いのたびに
奴隷狩りが行われその奴隷たちは鎖につながれたうえポルトガル人に売られ
マカオで売買されたと言います。
何かの記録には年端も行かない少女がポルトガル船の船員の部屋で回されていたなんて
話も伝わっており、扱いは家畜以下… マカオでは日本人奴隷は高値で売買されていたらしく主に中国人やインド人、ポルトガル人が購入したとか…なかにはヨーロッパにまで運ばれた人もいたようで若い女性は特に高値だったようす。
小西行長などはキリシタン大名として有名ですが
彼などは奴隷狩りで軍事資金、布教資金を集めたらしく
宣教師たちから布教の妨げになるという報告を受けたポルトガル本国は日本人奴隷の解放とその後の取り扱いを禁止したとのことです。しかし日本人奴隷へのニーズは減らずポルトガル商人たちの売買熱は収まらなかったとか...
1600年代当時日本の総人口は1500万人
その中で奴隷売買で九州だけで3万人が海外に売られていたようです。
後々日本人の奴隷化に憤慨した豊臣秀吉により
キリスト教の禁止令が出たほどでしたからその凄まじさが想像できます。
そんな酷い戦国時代の人身売買でしたので確かに高貴で美しい折花姫なども恐怖を感じて当然だったでしょう。

折花神社のすぐ近くには美しい神之川の清流が未だ静かに流れています。

参考リンク
http://www.sagami.in/reki/post-366
http://blog.goo.ne.jp/2010trip_matsu/e/3de49d9e93e1c628b5ec1edaedd1c186
http://www.shokonet.or.jp/tsukui/html/ori01.html
http://ameblo.jp/tts-history0308/entry-11545540712.html

美しい折花姫に会いに行こう!宿泊はこちら…↓






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